今は昔、静岡県は「サッカー王国」と呼ばれていました。呼んでいた一人が、この私。静岡支局にいた1998年、記事の中で何度このフレーズを使ったことか。フランスW杯日本代表メンバーの22人中9人は静岡出身。Jリーグでは磐田と清水が優勝を争い、国体ではMF小野伸二(現J1札幌)を中心とした少年の部が2連覇、全中は東海大一(現東海大翔洋)が3連覇、全国少年サッカー大会では浜松JFCが優勝。そんな時代だった。
あれから24年。全国的にサッカーのレベルは格段に底上げされ、静岡で「王国」なる言葉はめったに使われなくなった。なにせJ1で磐田と清水が再びJ2降格の危機に立たされている状態ですから…。
しかし、古き良き時代に戻ったのではないか、と感じる試合が先日あった。8月22日に山形・鶴岡市で開催された全国中学校サッカー大会決勝だ。浜松開誠館対静岡学園。1970年から始まる全中サッカー史上初の同じ都道府県チームの同士の決戦となった。
試合は前半、開誠館のFW田窪悠己が個人技を生かして2得点。後半は静学が前のめりになったスキに、開誠館の中盤の2選手がさらに2点を追加した。静学のMF前田一樹主将が最後に意地の1発を返して結果は4―1。走力と気合で勝る開誠館の圧勝となったが、静学もテクニックでは負けてはいなかった。NHKのEテレで全国中継されたが、それに値するハイレベルな試合だった。
中間一貫校の両校ともにほとんどが地元出身の子供たち。開誠館の岡本淳一監督(44)は「県内で高め合えることは指導者として嬉しいことですね。次のステージに進んでも活躍できるようになることが願いですから」。自身も浜松西高時代に県代表として96年の国体に出場。静岡の少年たちのレベル向上を歓迎するのは当然だ。
もっとも、中学生選手たちは「静岡勢対決」という大人たちの盛り上がりに少し戸惑いも感じていた。優勝して感激の涙を流した開誠館のFW川合亜門主将は「正直、あまり静岡同士ということは気にしていませんでした。それよりも、全国の人たちに自分たちのサッカーを見てもらおうという気持ちの方が強かったです」と語った。
選手たち皆がプロ志望。さらに海外でのプレーを目指すのが当たり前の時代になった。彼らは「静岡県」という狭い枠で考えていない。「サッカー王国」なる言葉は、進化した上で過去のものとなったのだ。
(地方部・甲斐 毅彦)
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