ファンの記憶に刻まれる高校スポーツのドラマは、選手やチームを育て上げた指導者を抜きには語れない。九州・山口・沖縄で大きな足跡を残した名将を、思い出のシーンとともに紹介する。
宮崎県勢として初めてたどり着いた全国高校サッカー選手権の頂だった。2012年度の第91回大会。異例の勝ち上がり方を振り返り、「もう一度やれと言われても無理でしょうね。本当に神がかり的だった」。そう笑って懐かしむ。
全6試合のうち、星稜(石川)との準決勝、京都橘(京都)との決勝を含む4試合がPK戦での勝利。リードを許しても追いつく粘りをベースに、PK戦に持ち込めばゴール成功率86%という勝負強さだった。
PK練習はほとんどしなかった。キッカーを決める上で重視していたのは普段の姿だ。生活態度や練習への取り組み方が、緊張する場面での自信や度胸、落ち着きにつながると考えたからだ。「選手たちがあの場で自分の力を出し切れたのは、日頃の行いのおかげ」と分析する。
創部時に監督に就任したのは32歳の時。指導者になるのは初めてで「努力のしがいがあった」と言う。マイクロバスを運転し、茨城県や富山県まで遠征した。試合後に相手の監督と酒席を共にし、練習法などを学んだ。鹿児島実(鹿児島)を強豪に育てた松沢隆司さん(17年に死去)らと交流し、指導力を磨いた。
「僕は要領がいい方ではない。選手にも、コツコツ真面目に一生懸命やろうと言い続けた」という。全国制覇は創部30年目のシーズンで、「30年やっていればいいことがある」。当時の主将、矢野大樹さん(27)は「サッカーだけでなく、人としてどうあるべきかを教わった」と振り返る。
16年度に総監督を退任した後も週1、2日は練習に顔を出す。その一方で、60歳以上が所属するクラブで自らもボールを追いかける。「サッカーは楽しい」。古希を過ぎても少年のように青春を
まつざき・ひろみ 1950年9月3日生まれ。宮崎市出身。宮崎農を卒業後、自動車整備士として働きながらプレー。83年に宮崎中央(現鵬翔)の初代監督に就任し、87年度の全国高校選手権で初出場に導いた。総監督時代を含め、選手権に計13度出場。クラブチーム運営会社の会長も務めた。教え子に元日本代表FW興梠慎三(浦和)ら。
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