■「蹴球」から「サッカー」へ大転換
それによれば、大半の言葉が中国語の「足球」のように「フットボール」の直訳で、「足」という言葉と「ボール」という言葉をくっつけた造語になっている。数少ない例外のひとつがイタリア語で、「カルチョ」という。有名な話だが、イタリア人たちは、英国人がやって見せた競技を中世からイタリアで行われていたボール競技(歴史的カルチョ)から発展したととらえ、「カルチョ」としたのだ。 また韓国では、漢字の「蹴球」を読んだ「チュック」が定着している。この競技が日本の統治時代(1910~1945年)に導入され、広まったため、当時の日本での正式名称であった「蹴球」が定着したのだ。 1921年に誕生した「大日本蹴球協会(JFA)」は、1931年から機関誌『蹴球』を発行した。この名称は整合性がとれている。JFAは第二次世界大戦中に体協の一部となったが、戦後復活して1947年に「日本蹴球協会」と改称する。ところが1948年に復刊された機関誌には、占領軍に配慮したのか、それとも当時言われていたように「日本語をローマ字表記に」という主張に流されたのかはわからないが、『SOCCER』という英語字のタイトルがつけられていたのである。そして高橋龍太郎会長の巻頭言を読むと、「サッカー」というカタカナ表記が出てくる。 だが機関誌は1953年には『蹴球』の名称に戻り、1958年までその名称のまま続けられる。ところがここで再び「クーデター」が起きる。1959年1月号で、突然カタカナの『サッカー』となったのだ。
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