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Friday, June 11, 2021

サッカー代表チームが大阪に ミャンマー人らが選手の保護訴え|NHK 関西のニュース - nhk.or.jp

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サッカーワールドカップ・アジア2次予選のミャンマー対キルギスの試合が11日、大阪で行われました。
会場周辺には日本で暮らすミャンマー人たちが集まり、選手たちにエールを送るとともに「帰国すれば軍から危害を加えられるおそれがある」などとして、日本政府に選手たちの保護を訴えました。

ミャンマーではことし2月のクーデター以降、軍による市民への弾圧が続き、これまでに840人以上が犠牲になっています。
こうした中で来日したサッカー、ミャンマー代表の選手の1人が先月28日に行われた日本との試合の前に、「3本指」を立てるポーズをとり、軍への抗議の姿勢を示していました。
11日、大阪市内で行われたキルギス戦は無観客試合となりましたが、会場の外には日本で暮らすミャンマー人や支援者などおよそ15人が集まり、選手たちにエールを送るとともに「軍に抗議を示した選手がこのまま帰国すれば、軍から危害を加えられるおそれがある」などとして、日本政府や日本国民に保護してほしいと訴えました。
参加者たちは、「ミャンマーを助けて」と書かれた横断幕を掲げ、会場から聞こえるミャンマーの国歌に合わせて軍への抗議の意思を示すとともに日本などに対してミャンマーを救うために行動を起こしてほしいと声を上げていました。
デモを主催した、ミャンマー人のアウン・ミャッ・ウィンさんは、「選手たちの顔を見ることができ、思いを共有することができたと思う。軍に抗議の意思を示した選手は帰国したら危険な目に遭う。日本政府と日本国民はミャンマーを助けてほしいです」と話していました。

【主催者の思い】。
今回のデモを主催したのはミャンマー出身で大阪市内で東南アジア料理店などを営むアウン・ミャッ・ウィンさん(47)です。
アウン・ミャッ・ウィンさんは、かつての首都でミャンマー最大の都市ヤンゴン出身で、学生時代、アウン・サン・スー・チー氏率いる政党、NLD=国民民主連盟の青年部に所属し、ミャンマーの民主化運動に関わってきました。
しかし、スー・チー氏の演説のビデオを町なかで配布したことなどで、2度にわたって治安部隊に身柄を拘束されたといいます。
長期間の拘束は免れたものの、仲間の居場所や、組織の指示系統などについて、執ような取り調べを受けて強い恐怖を感じ、「いずれ再逮捕され、長期間、拘束されるおそれがある」と考え、海外に逃れることを決意しました。
そして、ブローカーに金を渡してフェリーに乗り込み、23年前の1998年に日本にたどりつきました。
しかし、在留資格がなく、入管法違反で逮捕されたあと、執行猶予の付いた有罪判決を受け、その後、当時の入国管理局の施設に2年間収容されました。
40回近くに及んだ難民審査の面接を経て、17年前の2004年に難民の認定を受け、関西に身を置くようになりました。
アウン・ミャッ・ウィンさんは、サッカーのミャンマー代表の選手が日本との試合の前に軍への抗議を表す「3本指」のポーズを示したことについて、「ミャンマーの現状を世界中の人たちに知ってほしいという思いからなされた行為で尊敬できるものだ」と話しています。
一方、市民への弾圧を続ける軍や警察に抗議する姿勢を示したことで、3本指を示した選手のほか、まわりの選手たちにも帰国したあと危険が及ぶのではないかと強い危機感を抱いているといいます。
このため、アウン・ミャッ・ウィンさんは、いま、選手たちがいる日本の政府に保護を求めたいと、デモを呼びかけたということです。
アウン・ミャッ・ウィンさんは、「ミャンマーではいま、多くの罪なき人が殺害されていて、国際社会からの助けが必要な状況だ。『3本指』のポーズも、ミャンマーの状況を訴える、命がけの行為だと思うので、私たちはその行為に感謝し尊重しなければいけない。このデモで、『日本政府と日本国民に選手たちを助けてください』と訴えたい」と話していました。

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