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Saturday, January 30, 2021

戦術史のコペルニクス的転回『ゾーナルプレッシング』のミラン サッカー世界遺産第35回(サッカーマガジンWeb) - Yahoo!ニュース - Yahoo!ニュース

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未知のイノベーター

 それまで常識的と思われていたフットボールが、一夜にして歴史の彼方に葬り去られたような印象すらあった。あれは1989年だから、もう30年前のことになる。ヨーロッパの最強クラブへ上り詰めたミラン(イタリア)の戦法が、全世界に衝撃を与えることになった。  ミランは相手ボールになると、自陣に後退するどころか、敵陣へにわかに前進した。ボールという獲物を狩るためだ。しかも、次々と獲物を仕留め、すぐに敵のゴールへ迫る。ボールも、ゴールも、勝利も、栄冠も、ことごとく奪い取っていった。  現代フットボールの扉を開いた戦術マニアの最高傑作。それこそグランデ・ミランのプレッシングフットボールだった。  革新の担い手は、一人の指導者だった。アリゴ・サッキだ。  プロ選手の経歴はない。指導者としてもセリエAに属するクラブを率いた実績はなかった。ところが1987年の夏、名門ミランの新監督に就任する。当時の会長シルビオ・ベルルスコーニの独断によるものだ。  この異例の人事には伏線があった。前年の1986-87シーズンのコッパ・イタリアだ。ミランはサッキの率いるパルマに連敗し、敗退に追い込まれていた。  セリエBに属するプロビンチャ(地方クラブ)に寝首をかかれた格好だ。ベルルスコーニは番狂わせに導いたサッキの手腕にただならぬものを感じ、周囲の猛反対を押し切って引き抜いている。サッキは苦労人だ。実父の経営する靴の製造会社で働きながら、独学で指導者の道を切り拓いている。周囲の懐疑的な意見に対し、こう言って反論した。 「良い騎手になるために、名馬に生まれる必要はない」  実際、強気に出るだけの理由があった。独自の戦術理論だ。それも、カルチョの伝統とは似ても似つかぬ斬新なものだった。

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