城彰二はデビュー戦で得点を挙げるなど初年度で12ゴール
2021年度のJリーグにおける「ニューヒーロー賞」は、鹿島アントラーズのMF荒木遼太郎が受賞した。Jリーグで27年ぶりに10代の選手が2桁ゴールを決めたことも話題になったが、Jリーグ創成期の「スーパールーキー」とも言える選手たちを振り返る。 【動画】「震えたわ」「本当にクール!」 ローマ時代の中田英寿、ユベントス戦で“伝説のミドル弾”を決めた瞬間 その荒木の記録は、27年前の達成者がジェフユナイテッド市原(当時)に、Jリーグ開幕から2年目の1994年に加入したFW城彰二だった。鹿児島実業高から加入すると、元ドイツ代表MFピエール・リトバルスキーら実力者が所属するチームで試合出場を重ねた。デビュー戦でゴールを決めるなど得点力を発揮し、初年度で12ゴールを挙げた。 この年のジェフはオッツェこと元西ドイツ代表FWフランク・オルデネビッツが得点王を獲得。城にとっても明確なゴールハンターが横にいる環境が、自身の良さを発揮しやすい状況だった。ゴール後に前方宙返りをするパフォーマンスは、当時から大きな話題になった。 Jリーグ開幕から3年目になった1995年は、前年に横浜マリノスに清水商業高(いずれも当時)に加入していたGK川口能活が大いに話題を呼んだ。当時の横浜は、日本代表GKとして93年の“ドーハの悲劇”も体験した松永成立がレギュラーとして君臨していたが、当時の監督と対立。そこで白羽の矢が立ったのがプロ2年目の川口だった。 4月にデビューすると、2ステージ制の当時にいきなり1stステージの優勝に貢献。チャンピオンシップでは当時の「伝統の一戦」だった、日産自動車の流れをくむ横浜と、読売クラブの系譜であるヴェルディ川崎(当時)と対戦。そこで勝利に導いてリーグ初優勝をもたらして、一躍ヒーローの座を手にした。
中田英寿は中盤で8ゴールをマーク、のちにイタリアへ
その1995年にデビューしていたのが、のちに日本サッカーの伝説的な存在に成長していくMF中田英寿だった。山梨県の韮崎高からベルマーレ平塚(当時)に加入すると、トップ下として活躍。前年度に天皇杯を制していた若く勢いのあるチームで、MF岩本輝雄らと中盤を組んで8ゴールの活躍だった。城に続く2桁ゴールとはならなかったが、ポジションがストライカーでないことを加味すれば、やはり傑出した活躍だと言えたのだろう。 こうした彼らに、Jリーグ開幕前年に横浜フリューゲルスに加入していたMF前園真聖らを加えたメンバーが、1996年のアトランタ五輪へ日本サッカー28年ぶりの出場を勝ち取り、本戦では「マイアミの軌跡」と呼ばれるブラジル撃破も果たした。さらには、中田がイタリアへ移籍すると、城はスペイン、川口はデンマークやイングランドといったヨーロッパに出ていって、日本人選手が欧州で認められるための先駆者になっていった。 当時は各クラブとも全体に今ほど選手層が厚くなく、試合数も非常に多かったのでルーキーの選手たちが出場機会を得やすい環境にあったのは事実だろう。それでも、10代のうちに絶対的なレギュラーを獲得してJリーグで傑出した成績を残すのは並外れたものがなければ不可能なこと。Jリーグ開幕により、日本サッカーの新しい扉が開いたのと歩調を合わせるように飛び出してきたスターたちが、サッカーやJリーグの魅力を大いに広めたのは間違いない。
Football ZONE web編集部
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