ソニーコンピュータサイエンス研究所(ソニーCSL)は、2018年から推進してきた、乙武洋匡氏を義足で歩行に導くことを目指す「OTOTAKE PROJECT」成果報告会を9月28日に日本科学未来館で開催した。
「OTOTAKE PROJECT」は「五体不満足」の著者の乙武洋匡氏とともにロボット義足の研究を行なうソニーCSLリサーチャーの遠藤謙氏が、ロボティクスで人間の身体の進化を目指すプロジェクト。科学 技術振興機構(JST CREST JPMJCR1781、JPMJCR19F2)の支援を受けて2018年にスタートした。遠藤氏に加え、ロボット義足を設計するエンジニアやデザイナー、乙武氏への義足の装着を担当する義肢装具士や歩行法の支援をする理学療法士がチームに加わって推進してきた。
成果発表会ではプロジェクト趣旨の解説のほか、乙武洋匡氏によるロボット義足を使った歩行デモンストレーションが行なわれた。
乙武氏はロボット義足をつけて、未来館のシンボル展示である「ジオコスモス」まで、当初の予定だった50mを大きく超えて70m程度の距離を歩行した。
n=1のものづくり 乙武洋匡氏のためのロボット義足
プロジェクト概要の紹介はプロジェクトリーダーであるソニーCSLリサーチャーの遠藤謙氏が行なった。人間は筋肉を収縮させて足を動かし、歩行している。足がない人は筋肉ができない。義足で歩行するには筋肉の機能を何らかの方法で代替する必要がある。義足には安価で軽量な受動的なものと、2000年ごろから出始めたモーターを使って能動的に動作するロボット義足とがある。
今回、遠藤氏らが開発した義足「PKA-SEA」も能動的なロボット義足だが、従来の他社製品よりも小型で軽量のものを実現した。モーターユニット部分は重さ1.2kg(+腰に着用するバッテリー分0.6kg)、高さ86mm程度。膝には独自開発の軽量トルクセンサーを配置。とにかく軽く、安くすること、滑らかな歩行を目指した。プレゼンでは開発メンバーの森田隆介研究員によるデモも行なわれた。トルクセンサのほか、角度センサー、足裏センサーなどを使って、膝を曲げ伸ばす歩行を能動的に助ける。
ひざを伸ばす行為は筋肉がないとできない。その動作をモーターを使って実現できることが能動義足のメリットだ。だが能動機能がない、パッシブな義足を使っても、人によっては階段を上がることは可能だ。だから必ずしも「能動的な義足だから優れている」とは言えない。
遠藤氏は今回のプロジェクトの義足の特徴は「適応性」と「柔軟性」だと述べた。つまり、転びそうになったら瞬時にリカバリーできる「適応性」と、リハビリの過程に応じた「柔軟性」だ。リハビリテーションの初期と後期とでは、膝に求められる機能は違う。リハビリ初期はあまり曲がらないように固定する必要がある。だが後期はより曲げやすく、歩行距離が伸ばせる機能が必要とされる。ロボット義足を使うことで、その変化に対応し、その時に応じた適正なものを選んでいけるという。
そして「n=1のものづくり」を目指したという。乙武氏はとてもアクティブなことでも知られているが、四肢欠損はとても重い障害だ。一般には四肢欠損の人は寝たきりのことも少なくなく、自律して生活することは難しいのが今の状況だ。また、「歩く」という選択肢がほとんどない。遠藤氏は、そこに歩行の選択肢を持ち込みたいと考え、そのためにはどういう歩行がいいのか考えた。
今回開発された義足は、ソフトウェアで膝にあるバネとダンパーのパラメータを簡単かつ動的に変えられる。それを乙武氏の歩行習熟度に合わせて変えていったという。プロジェクトでは当初は、健常者の歩行を模倣しようとしていた。だがそれは乙武氏に合っていなかった。では乙武氏の身体に合わせた歩行とは何なのかと考えながらプログラミングを積み重ねていったという。
また、このプロジェクトでは、コミュニティを作ることも重視した。研究・論文だけではなく、コミュニケーションを多くの人ととった。ものづくりだけではなく、どう使ってきたか、乙武氏がそれを使ってどのように歩行動作を実現してきたか、そのプロセスを公開することでどんなコミュニティを作ってきたかも見てもらいたいと語り、プロジェクト全体を紹介する動画を披露した。
なお、この動画は後日ソニーCSLのサイトで公開される予定とのこと。
選択肢を増やしたい
デモンストレーションのあとに行なわれたシンポジウムは2部構成。まず第一部は「OTOTAKE PROJECT」メンバーによる、ソニーコンピュータサイエンス研究所リサーチャー 遠藤謙氏、乙武洋匡氏、Corner Work 理学療法士 内田直生氏、OSPO オキノスポーツ義肢装具 代表、義肢装具士 沖野敦郎氏によるディスカッションが行なわれた。
今回の成果発表会ではとてもうまくいったが、乙武氏によれば右足のソケットが外側に向きがちで、しかもこれは「日によって出たとこ勝負」。つまり、うまく歩ける日とそうではない日があるという。義肢装具士の沖野敦郎氏は、そのようなことが起こることも予想していたそうだ。理学療法士の内田直生氏はプロジェクトを振り返り、どこを使っているかという感覚が徐々に乙武氏のなかで生まれ、一年くらい経つと、ちょっとしたジグザクやターンも可能になり、乙武氏自身も前向きに自主トレをしてくれたと語った。
プロジェクトリーダーの遠藤氏は、このプロジェクトの結果を今後いかに研究成果としてまとめるか、そして成果を社会実装するかを重要視している。社会への影響について問われた乙武氏自身は「車椅子よりも二足歩行のほうが上なのではなく、あくまで選択肢を増やしたいという気持ち」だと答えた。
多様性ある社会と言いつつも、現実には多くの人が歩行して生活しており、二足歩行していても、ちょっと歩き方が違うだけで人はそちらに視線を向けてしまう。向けられる側はそれをストレスと感じる。だから現実には社会に溶け込みたいというニーズがある。そのためのオプションを実現していこうというわけだ。
乙武氏は「社会実装していくことで、街中で歩くこと、街に出ることが億劫であるとか、そういうストレスを解消できるのではないか」と語った。
プロジェクトの結果をダイレクトに反映できるとは限らないが、転用できる可能性もある。内田氏はもともと理学療法士の仕事としては「より長い距離が痛みなく歩けるようにすることなので、やれることをしっかりやって、どういった感触があったのかをかたちに残していくこと」が重要だと語った。
また、着用者が主観的にどういう感覚をもったかということもすごく大事であり、特に今回についていえば、両大腿部を切断し、大人になって初めて義足をつける人がどういう感覚を持つのかは大事なデータになるのではないかと語った。
義肢装具士の沖野氏は、そもそも歩く感覚を持っていない乙武さんがどこまでいけるのかは疑問に思っていたという。遠藤氏たちは「いける、いける」と盛り上がっていたが、膝がない人、歩く経験がない人は生半可では難しいよと思っていたと語った。だが今回、思っていた以上の成果が出て、「選択肢が広がったなと思った」と語った。乙武氏自身が今後義足で歩く必要は必ずしもない。だが選択肢を出すことが医療従事者としては大事だと述べた。
このプロジェクトは今後どうするのか。乙武氏と遠藤氏は、このプロジェクトを「◯mまで歩く」あるいは「10mを◯秒以内で歩く」といった数値目標を決めることなく「見切り発車」で始めた。今のところやればやるほど記録は伸びており「まだちょっとやめられない」(乙武氏)とのこと。
最近は段差にも挑戦しており、つい先週、2.5cmの段差を一段ならば乗り越えられるようになったという。理学療法士の内田氏も「スロープはできるようになっているので段差もできそう。まだ伸びそうだなという感じがある」と同意。
義肢装具士の沖野氏は、膝上切断か膝下切断かで生活動作が全く変わってしまうと紹介。そして「膝上で切断していると階段を登るのはすごく大変。段差の上り下りができるようになれば、かなりすごいこと。そこにも是非挑戦してほしい」と語り、遠藤氏も「もうちょっとやりましょうか」と同意した。
遠藤氏は、乙武氏を「課題先進者」として捉えており、歩行だけでなく、他にもまだ多くの自身が気づいていない課題と可能性を抱えているのではないかと指摘した。
乙武氏も今回歩行の補助のためにカウンターウェイトとなる腕をつけたとき、「自分の手の長さが違うのが面白い感覚で、床を叩いていた。こういうことができるならドラムとか頑張ればできるんじゃないか。ただの棒をくっつけただけでこう感じるなら指に近いような機能をつけたらもっとできること増えるんじゃないか」と感じ、「みんなは当たり前のようにできているんだな。もともと僕は『できるかも』とも思わずにここまで来たけど、これまでの人生の機会損失に気付いてしまって、あわててパンドラの箱を閉じた。もう一回箱を開けて機能を足せばできることがあるかも」と語った。遠藤氏は「箱だらけなんじゃないかと思う」と同意した。
プロジェクトの総括を求められた内田氏は「サポートしている立場としては一安心。後ろで支えていければ」と語った。義肢装具士の沖野氏は課題設定が難しかったとふりかえった。「お子さんの場合は体も柔らかく、転倒してもあまり怪我しない。乙武さんは大人だし、難しすぎず簡単すぎないところじゃないとと本人のモチベーションも上がらない。『届きそうで届かないけど結果的に届くところ』を、ちょっとずつ上がってきた」と語った。そして「乙武さんだからできた、他の人は無理というわけではない。乙武さんはパイオニアとしてやってるだけで、続く人が出てくれば、世のなかが変わって面白いのではないかと思っている」と述べた。
「義足である意味」を探求、2025年関西万博では乙武氏が走る!?
このプロジェクトはJST CRESTの採択課題である「計算機によって多様性を実現する社会に向けた超AI基盤に基づく空間視聴触覚技術の社会実装」(研究代表者:落合陽一氏、主たる共同研究者:菅野裕介氏、本多達也氏、遠藤謙氏)としての「xDiversity(クロスダイバーシティ)プロジェクト」の一環でもある。「xDiversity」は人や環境の「ちがい」をAIとクロスさせ、多くの人々によりそった問題解決の仕組み作りを目指している。
パネルディスカッション第2部では、遠藤氏、乙武氏にくわえ、富士通 マーケティング戦略本部 戦略企画統括部 ビジネス開発部 本多達也氏、東京大学 生産技術研究所 准教授 菅野裕介氏、そして筑波大学 図書館情報メディア系・メディア創造分野 准教授 落合陽一氏によるディスカッションが行なわれた。
落合氏は2025年関西万博の10人いるプロデューサーの一人でもある。落合氏は「万博までに走る」というのはどうかと提案。「絶対大丈夫。飛ぶし、走る」と話を始めた。義手義足は個別対応が必要なニッチな技術だ。それを実装するにはむしろエクストリームユーザーにフォーカスを絞ったほうが楽しいしうまくいくという。そしてデモを見た感想として「身体は奥が深い。そのぶん感動がある」と語った。富士通の本多氏も「めちゃくちゃ感動しました」、東大・菅野氏も「生で見ると改めて大変なことをやってると実感した」と同意した。
本多氏は「Ontenna(オンテナ)」という聴覚障害者向けのデバイスの開発者だ。本多氏の大学時代の研究を元に富士通から製品化されているOntennaは音を振動と光に変換して、ヘアピンのように髪の毛に装着してリズムを伝えるデバイスである。乙武氏のような身体を持つ人は少ないのでビジネス化の難しさはあるが象徴的なプロジェクトが行なわれることは社会性発信面ではものすごく大事であり、「それが価値になって応援にもつながると思う」と述べた。
今回は明らかにされなかったが、遠藤氏は社会実装について具体的な腹づもりがあるようだ。乙武氏に対して遠藤氏は以前「これは義足界のフェラーリだ」と説明したという。フェラーリのために研究されたエンジンがだんだん一般的な乗用車に転用されていくように、今回の技術もすぐに普及することはニーズ・価格両面で難しいが、やがて他の義足技術に転用されていき、やがて良い流れが生み出される可能性はあるのではないかというわけだ。
菅野氏はAIに関連した研究を行なっているということでパラメーター最適化に関する質問も出たが、菅野氏はそれよりも「技術をどうやって当事者に届けるか」という点について語った。今回の義足は使いこなすためにかなりの努力を必要とする。そのような「使う側が学んで、使いこなせるようになるための長期的コミュニケーションの仕組みを作ることが重要」だという。
乙武氏は同意し、実際に「あんなにトレーニングしなければ使いこなせないものって意味あるの」と言われることがあると語った。ロボット技術を使っているのだから、下半身部分だけで勝手にスタスタ歩いてくれるようなものでいいのではないかというわけだ。
だが、それだと「義足である意味」はなく、普段乙武氏が使っている電動車椅子やパーソナルモビリティのようなものでいい。しかし、人間が移動することの意味の1つには、「自分の意思で意のままに移動したい」という欲求がある。それを満たすための義足だと考えると、努力して使いこなせるものを目指したほうがいいのではないかという。
落合氏は「これはエクストリームスポーツなんだ」と喝破。デモンストレーションで乙武氏を応援する人たちやサポートするメンバーの様子も、F1のピットに入るようだと思いながら見ていたという。そして「乗りこなせない義足ももっとあっていい」と語り、「ヒューマノイド側の技術を乙武さんに入れたい。ヒューマノイド技術と義足の技術はそのうち混ざっていくし、トレーニングせずに使えるものも当然出てくる。それはそれで面白いが、エクストリーム感があるものも残るし、車椅子も残るし、車椅子みたいなロボットも出てくる。2035年くらいになるとそれらがごっちゃになってくるのではないか。努力をして獲得する身体性って何かとか、もっと多様なことを考えられる。そのなかで一番困難なことを3年間やったのはすげえよかったと思う。めっちゃ表情が良かった」と続けた。
遠藤氏もこのプロジェクトをやりたいと言ったとき、あまりいい顔をする人はいなかったが、この三人は即答だったと振り返った。落合氏は次は「100mを14秒くらいで走れるようにしたい」と語った。遠藤氏はM&A前提ではないスタートアップを作って社会実装を進めたいという。
最後に富士通 本多氏は「すばらしい成果をありがとう」と述べ、東大 菅野氏は「ユーザーの技術への関わり方、ある種のロールモデル、あり方を示すプロジェクトだったんじゃないかと改めて思った」と語った。
落合氏は「人間とテクノロジーが融合する世界にしたい。僕は走る乙武さんが見たい。価値観が変わるきっかけになる。次は世界中の人が走る乙武さんを見て感動してくれればいいなと思っている。勝手に妄想が広がっているがよろしくお願いします」と語った。
社会実装までは道半ば
沖野氏が乙武氏に例えとして言ったそうなのだが、ロボット義足をつけた乙武氏の当初の状態は、健常者で例えると「両手を後ろで縛られて玉乗りしているような不安定さ」だったそうだ。それがだんだん慣れて来て「竹馬の上に膝立ち」しているような感覚になり、最近はもうちょっと安定してきて「普通に竹馬」に乗っているような感覚になっているという。
プロジェクトメンバーはもともと遠藤氏が「互いに文句を言い合えるという条件で人を集めた」そうで、非常に仲が良く、疑問点も互いにぶつけ合いなんでも言い合える関係で進めてきたという。メンバーには特に、乙武氏自身も含めて「最終的には遠藤さん」という考えがあり、遠藤氏らが作ったデバイスをどう使いこなすか、それを広めたいということを軸にプロジェクトを進めてきたそうだ。
乙武氏は最後にプロジェクト全体を振り返り、「2018年4月から本格的にスタートして3年半。最初は四苦八苦だった。1年間かけて2019年3月にクラウドファンディングしてくれた人たちにお披露目会をやったとき、初めて10m歩けるようになった。そのときにはあまりに嬉しくて感慨深くて、人目もはばからず号泣してしまった記憶がある。そこからさらに2年半が経って、今日くらい歩けるようになった。正直もうちょっと行けたかなと思う。それくらいまで行けた。ただ、直後にも申し上げたとおり、私一人の努力で歩けるようになったわけではなく、プロジェクトメンバーみんなで知恵を出し合いながら、努力や工夫を重ねてここまで来たということはお伝えしておきたい」と語った。
そして「これは僕らの自己満足のためにやっているわけではない。こういった技術やオプションを求めている方にいつか届けられたらという思いでやってきている。本当は今日を最後に終わる予定だったが、なんとなくやめられなくなっているので、もうちょっと続けようかなと思っている。引き続き注目していただき、僕らの努力の結晶が多くの技術を欲してる人に届くまで今しばらくお付き合いいただきたい」と語った。
遠藤謙氏は「プロジェクト関係者に御礼申し上げる。いろんな人が関わってここまでやってこれた。乙武さんという希少な身体をお持ちの方と3年間一緒にやってこれた。まだまだ課題がある。作ったものもすごく良いものができた。これをどうやって社会実装していくかの算段も頭の中にある。やっていきたいことがたくさんある。これからもよろしくお願いします。これからもご期待ください」と締めくくった。
なおこの成果発表会の様子はxDiversityによりライブ配信された。下記で閲覧できる。
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