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Wednesday, June 16, 2021

芝ピッチ→駐車場→ピッチ サッカー聖地が進む新たな道 - 朝日新聞デジタル

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拡大する写真・図版2018年9月に完成した全天候型練習場(奥)と復旧した天然芝のピッチ=2020年2月7日午前11時40分、福島県楢葉町、江戸川夏樹撮影

 震災前はプロサッカー選手が集い、東京電力福島第一原発の事故後は丸6年にわたり事故収束の拠点となったJヴィレッジ(福島県楢葉町・広野町)。日本女子代表元監督で、副社長の上田栄治さん(67)は2年前に全面再開するまでの歩みを振り返りつつ、サッカーの「聖地」が進む新たな道について語った。

うえだ・えいじ 1953年12月、千葉県館山市生まれ。フジタサッカークラブ(現・湘南ベルマーレ)で現役引退後、マカオ代表や日本女子代表監督(2002~04年)、日本サッカー協会の女子委員長などを歴任。13年7月からJヴィレッジ代表取締役副社長。

 ――震災当時、どこで何をしていましたか。

 「ロシアのモスクワ空港で飛行機の乗り継ぎを待っている時でした。当時、日本サッカー協会(JFA)の女子委員長を務め、ポルトガルで開かれたなでしこジャパンの国際大会に帯同した後、ロシアでのU19の女子国際大会の視察に向かう途中でした。日本時間の3月12日早朝だったと思いますが、空港のテレビに津波の様子が映し出され、日本で何か大変なことが起きたことだけは分かりました。その後、視察先でチームと合流し、震災が起きたことを知りました」

拡大する写真・図版取材に応じるJヴィレッジ副社長の上田栄治さん=2021年5月19日午後2時36分、福島県楢葉町山田岡、古庄暢撮影

震災前の福島は「緑豊かな過ごしやすい場所」

 ――2013年7月にJヴィレッジの副社長に就任しました。

 「福島との関わりを持ったきっかけが、実はJヴィレッジでした。開業した1997年にJFAのユース年代育成の取り組みで訪れたのが最初で、その後も監督の立場で試合や合宿先として利用しました。Jヴィレッジの緑豊かで過ごしやすい環境のイメージこそが、私にとって震災前の『福島県』でした」

 「2011年になでしこジャパンがワールドカップ(W杯)で優勝したのも一つのきっかけだと思います。あの当時、日本女子代表の選手たちは『被災地に元気を届けよう』と、劣勢でも決してあきらめない試合をしてくれました。後日、被災地を勇気づけられたと聞き、スポーツの果たす役割の大きさを感じました。私も長い間JFAとサッカーに関わった身として、13年春ごろにJFAからJヴィレッジの副社長の打診を受けた際は、営業再開は非常に困難でも、断る理由はないと考えました」

 ――原発事故を受け、Jヴィレッジは営業を休止し、事故収束に向けた作業員の拠点となりました。

 「副社長の就任当時は、月に…

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