『特集:東日本大震災から10年。アスリートたちの3.11』
第2回:【サイモン・クーパーのフットボール・オンライン】震災と日本のサッカー
東日本大震災に見舞われた日本を、世界のスポーツ関係者は当時、どう見ていたのか。この記事はSportivaでもおなじみのパリ在住のジャーナリスト、サイモン・クーパー氏が2011年4月に寄稿してくれたものを再録したものである。
「僕たちがグラウンドで戦っていたとき、いつも大きな力を与えてくれたのは、みなさんの応援でした」と、日本代表のキャプテン、長谷部誠は大震災の被災者に向けて語った。「今度は僕たちがみなさんを応援する番です。今日、日本の力、サッカーの力を信じて、仲間と一緒に全力でプレーをします」。黙とうが行なわれ、日本代表とJリーグ選抜「チーム・アズ・ワン」とのチャリティーマッチが始まった。
このところ僕たち外国人は、悲しみといたわりの混じり合った気持ちで日本を見つめている。いたわりの感情を抱いているのは、2002年のワールドカップのときに日本全国を旅する幸運に恵まれた僕のような者だけではない(あのときは、コンビニのおにぎりで空腹を満たしながらスタジアムで退屈な試合を見るより、実際の日本に触れられる時間のほうがはるかに楽しかった)。いま欧米には、日本のことを経済の脅威だとか、第2次世界大戦の悪役といった目線で見る人はめったにいない。僕たちのほとんど誰もが親日家だ。
しかし今回の震災は、みなさんの国への関心も高めた。僕の関心のひとつは、日本の国家的な癒しの過程にサッカーが果たしうる役割だ。
20年前、代表チームに関心を持つ日本人はほんのひと握りだった。それが今、「サムライブルー」は国の団結の象徴になっている。この点で日本は、世界の他の国にさらに似てきたのだろう。現代において国民の一体感をつくるふたつの大きな要素は、サッカーの代表チームと国家的な悲劇のようだからだ。
少し前まで、国家は別のものから一体感をつくり上げていた。たとえば、他国との戦争、国家的な宗教、君主への敬意。戦前の日本はこの3つすべてを使っていた。しかし、1945年を境に何もかもが変わった。天皇制は残ったが、戦前よりは影響力が小さな存在になった。宗教はかつての力を失った。そして日本は外国と戦争をしないと宣言した。
からの記事と詳細 ( 海外記者から見た東日本大震災後の日本。サッカー日本代表が果たしていた役割 - sportiva.shueisha )
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