香港が若者の抗議デモで騒然とするなか、かつてこの街を見下ろす丘に豪邸を構えた流通業界の風雲児、和田一夫氏が死去した。静岡県の青果商から始めた中堅食品スーパーを「国際流通グループ・ヤオハン」に押し上げ、1千店の出店で中国市場の制覇をめざしたが、壮大な構想は見果てぬ夢に終わった。
大学を卒業後、静岡県熱海市にあった家業の青果商を継ぎ、1962年にヤオハンの前身となる食品スーパーの社長に就任した。東海地方を中心にチェーン展開を進め、特に70年代にはブーム後のボウリング場跡地を利用して店舗数を増やした。
当時の流通業界では初となる海外進出としてブラジル・サンパウロ店を開店。経営難から撤退の苦節を経るが、宗教信仰に支えられた強い使命感から、その後も米国やシンガポールなど世界十数カ国・地域でスーパーを展開する国際流通グループとなった。
和田氏はグループ本部を香港、そして上海に進出させ、中国市場にのめり込んだ。95年には上海に当時アジア最大の百貨店を開業するなど海外事業はピークを迎えた。
香港返還をはさむ97年ごろには経営危機が表面化していたが、メディア取材に和田氏は「これをみてください」と、中国要人や香港の富豪との面会予定を示し、経営への自信と中国への信頼を崩さなかった。
しかし、97年9月に過大な投資負担が重荷となり、日本法人が会社更生法の適用を申請。続いて香港法人も倒産に追い込まれた。
戦前に青果店を開いた母カツさんは、テレビドラマ「おしん」のモデルとされる。ヤオハンの倒産に当たり、香港誌は「おしんが作って息子が潰した」と突き放したが、香港を拠点に中国制覇をめざしたヤオハンの失敗は、中国支配の色に香港が染まる今日の姿を映していたかのようだ。(山本秀也)
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2019-08-29 07:55:00Z
https://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20190829-00000545-san-bus_all
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