サッカー・ワールドカップ(W杯)カタール大会の日本代表の戦いぶりに注目が集まる中、日本サッカーの発展に尽力した高円宮さまが逝去して21日で20年となる。47歳で急死する半年前に開催された日韓共催のW杯では、開会式出席などのため、高円宮ご夫妻は、皇族として戦後初めて韓国を公式訪問した。滞在中に「近くて遠い国」が「近くて遠くない国になった」と語った高円宮さまをしのぶ声は今も絶えない。(吉原康和)
◆睡眠1日5時間未満で・・・戦後初の皇族公式訪問
2002年11月21日、高円宮さまはカナダ大使館でスカッシュの練習中に倒れ、心室細動のため帰らぬ人となった。
その約半年前、高円宮さまの姿は、韓国にあった。妻の久子さまとともに02年5月末から6日間にわたって韓国を訪問。記者もこの訪問に同行取材した。
「睡眠1日5時間未満」という過密日程の中、ご夫妻は寸暇を惜しむかのように、W杯の熱気に沸くソウルや
◆私の中で近くて遠い国が、近くて遠くない国となった
日韓の歴史のはざまで
「私の中で近くて遠い国が、近くて遠くない国となった」。帰国を前に、同行記者との会見に応じた高円宮さまは、訪問の感想をそう表現した。
◆日韓関係「対等に」思いを継ぐ
W杯の日韓共催の意義について、高円宮さまが21年間、嘱託勤務していた国際交流基金(東京都新宿区)元理事長の藤井宏昭さん(89)は「サッカーは同じボールを蹴るのだから、まさに対等のスポーツ。国際交流も同じで、日韓共催は対等に付き合っていく絶好のチャンスだと思う、と話されていた。近年の日韓関係は戦後最悪といわれるが、対等な関係を目指された殿下の考えは、今も生きている」と振り返る。
基金での仕事に「『殿下用の個室を』と提案したこともありましたが、『職員のみなさんと対等に』と固辞され、最後まで大部屋で過ごし、呼び方も『三笠さん』で通された」と話す。
日本サッカー協会(JFA)相談役の川淵三郎さん(85)は「20年たった今でも、われわれの太陽であり、誇りであり、世界に自慢できる殿下のことを忘れない」と、高円宮さまの功績をたたえる。
高円宮さまがJFA名誉総裁に就任したのは1987年。「若手育成が日本サッカーの発展につながる」という高円宮さまの言葉を受けて、JFAは中学生と高校生の年代の選手を対象としたサッカーの大会(高円宮杯)などを創設した。その功績を後世に伝えるため高円宮さまの銅像も建立された。
逝去後、久子さまはJFAなどの名誉総裁を引き継ぐともに、高円宮さまの遺志を受けて08年に設立した「高円宮記念日韓交流基金」などの名誉総裁に就任されている。
久子さまは、東京新聞の取材に応じ、これからの日韓交流について「宮様は、2002年に戻って、『あの時一緒にやったじゃないか』『また一緒にやりましょう』という関係であってほしいとおっしゃったことがあります。交流の積み重ねが重要だと思います」などと文書で回答を寄せた。
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