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Friday, November 18, 2022

日韓を「近くて遠くない国に」 2002年サッカーW杯共催、尽力した故・高円宮さま 逝去20年:東京新聞 TOKYO Web - 東京新聞

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親睦試合で日本サッカー協会の岡野俊一郎会長(右)と談笑するユニホーム姿の高円宮さま=2002年6月24日、国立競技場で(JFA提供)

親睦試合で日本サッカー協会の岡野俊一郎会長(右)と談笑するユニホーム姿の高円宮さま=2002年6月24日、国立競技場で(JFA提供)

 サッカー・ワールドカップ(W杯)カタール大会の日本代表の戦いぶりに注目が集まる中、日本サッカーの発展に尽力した高円宮さまが逝去して21日で20年となる。47歳で急死する半年前に開催された日韓共催のW杯では、開会式出席などのため、高円宮ご夫妻は、皇族として戦後初めて韓国を公式訪問した。滞在中に「近くて遠い国」が「近くて遠くない国になった」と語った高円宮さまをしのぶ声は今も絶えない。(吉原康和)

ソウル教育大学付設初等学校(小学校)を訪問し、2年生の授業を見学する高円宮ご夫妻=2002年5月30日、ソウル市瑞草区で(笠原和則撮影)

ソウル教育大学付設初等学校(小学校)を訪問し、2年生の授業を見学する高円宮ご夫妻=2002年5月30日、ソウル市瑞草区で(笠原和則撮影)

◆睡眠1日5時間未満で・・・戦後初の皇族公式訪問

 2002年11月21日、高円宮さまはカナダ大使館でスカッシュの練習中に倒れ、心室細動のため帰らぬ人となった。

 その約半年前、高円宮さまの姿は、韓国にあった。妻の久子さまとともに02年5月末から6日間にわたって韓国を訪問。記者もこの訪問に同行取材した。

 「睡眠1日5時間未満」という過密日程の中、ご夫妻は寸暇を惜しむかのように、W杯の熱気に沸くソウルや蔚山ウルサン釜山プサンなどの各都市を精力的に訪ねた。

◆私の中で近くて遠い国が、近くて遠くない国となった

 日韓の歴史のはざまで翻弄ほんろうされた日本の旧皇族、故李方子りまさこさんが設立にかかわった障害者施設や小学校、文化施設などを訪問。韓国最大の魚市場である釜山のチャガルチ市場では、両側に露店が軒を連ね、肩が触れ合う人混みの中をかき分けるように進み、店員から差し出されたサメの胃袋を口に運び、市場の人々と談笑する高円宮さまの姿が印象的だった。

 「私の中で近くて遠い国が、近くて遠くない国となった」。帰国を前に、同行記者との会見に応じた高円宮さまは、訪問の感想をそう表現した。

◆日韓関係「対等に」思いを継ぐ

 W杯の日韓共催の意義について、高円宮さまが21年間、嘱託勤務していた国際交流基金(東京都新宿区)元理事長の藤井宏昭さん(89)は「サッカーは同じボールを蹴るのだから、まさに対等のスポーツ。国際交流も同じで、日韓共催は対等に付き合っていく絶好のチャンスだと思う、と話されていた。近年の日韓関係は戦後最悪といわれるが、対等な関係を目指された殿下の考えは、今も生きている」と振り返る。

 基金での仕事に「『殿下用の個室を』と提案したこともありましたが、『職員のみなさんと対等に』と固辞され、最後まで大部屋で過ごし、呼び方も『三笠さん』で通された」と話す。

 日本サッカー協会(JFA)相談役の川淵三郎さん(85)は「20年たった今でも、われわれの太陽であり、誇りであり、世界に自慢できる殿下のことを忘れない」と、高円宮さまの功績をたたえる。

 高円宮さまがJFA名誉総裁に就任したのは1987年。「若手育成が日本サッカーの発展につながる」という高円宮さまの言葉を受けて、JFAは中学生と高校生の年代の選手を対象としたサッカーの大会(高円宮杯)などを創設した。その功績を後世に伝えるため高円宮さまの銅像も建立された。

 逝去後、久子さまはJFAなどの名誉総裁を引き継ぐともに、高円宮さまの遺志を受けて08年に設立した「高円宮記念日韓交流基金」などの名誉総裁に就任されている。

 久子さまは、東京新聞の取材に応じ、これからの日韓交流について「宮様は、2002年に戻って、『あの時一緒にやったじゃないか』『また一緒にやりましょう』という関係であってほしいとおっしゃったことがあります。交流の積み重ねが重要だと思います」などと文書で回答を寄せた。

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