「チャーハンでも炒めてろ!」を乗り越えて
スペイン3部「プエルタ・ボニータ」の監督に就任するなど、同国で女性としても日本人としても初めて監督になった佐伯夕利子さん。「男の世界」で生きてきた彼女が現在目指すこととは?(写真:ⓒJ.LEAGUE)
サッカーの久保建英選手が昨年在籍したことでも知られるスペインリーグのビジャレアル。実は世界のスポーツ関係者が視察に訪れる育成メソッドを持つ。
元(前)ビジャレアルスタッフで現在Jリーグ常勤理事を務めるのが佐伯夕利子さん。『教えないスキル ビジャレアルに学ぶ7つの人材育成術』の著書もある佐伯さんは、その指導方法をほかのコーチらとともに作り上げてきた。
佐伯さんは2003年、スペイン3部「プエルタ・ボニータ」の監督に就任。同国で女性としても日本人としても初めてで、2007年には『ニューズウィーク日本版』で「世界が認めた日本人女性100人」にノミネートされた。
彼女はなぜ、異国の地で「男の世界」と目されていたサッカーコーチに挑戦したのか。佐伯さんにインタビューを試みた。
「1本の電話」から始まった怒涛のキャリア
高校卒業後すぐに、父の仕事の関係でスペインに移住したという佐伯さん。小、中学校でのサッカー経験は5年弱くらい。高校ではサッカーをする環境に恵まれなかったものの、サッカーが大好きだった彼女は、スペインに来てすぐにチームに入ろうと動き出した。
渡西してすぐにマドリード自治州のサッカー協会側に自分で電話をし「女子チームに入りたい」と伝える。スペイン語がおぼつかないことを配慮してくれた職員は「私たちのところに来て」と言って協会に招き入れ、自宅から通えそうなクラブを紹介してくれた。
佐伯 練習が終わったチームメイトをロッカールームとか、時にはシャワー室まで追いかけていって、ねえねえ、さっき私に言ったの、何ていう意味?って聞きました。彼女たち、嫌がりもせずに濡れた手で「ここ、ここ」って辞書を指さして。おかげで、親と暮らしていた割にはスペイン語は上達しました。何よりも、ああ、私は鳥肌が立つくらいサッカーが好きなんだって実感しました。
当時はヒスパニック文学を学んでいたものの、サッカーで生計を立てていこうと決意した。
佐伯 じゃあサッカーで生計を立てられる職業って何があるんだろうって考えたとき、当時は指導者か審判の2つしか選択肢が思い浮かびませんでした。ただ、審判は速攻で却下されました。スペインリーグでは、審判のジャッジに怒った選手が乱闘を始めるのはしょっちゅうでした。(選手に)取り囲まれるし、スタンドからものを投げつけられる。下手したら殴りかかられますから。少年サッカーのレベルでさえも、親御さんなどに相当文句を言われるのを見ていました。
プロ選手にはならず19歳で指導者になると決め、今度はライセンス講習を受けたい旨をスペインサッカー協会に問い合わせた。
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