
サッカー名将列伝第3回 フランシスコ・マツラナ 革新的な戦術や魅力的なサッカー、無類の勝負強さで、見る者を熱くさせてきた、サッカー界の名将の仕事を紹介。第3回はフランシスコ・マツラナを紹介。当時ミランと同じプレッシング戦術を機能させ、技巧派の選手も重用しながら魅力的なコロンビアサッカーを築いた監督だ。 【動画】FKが決まりまくる! リオネル・メッシのスーパープレー集 ◆ ◆ ◆ <1989年のミラーゲーム> 新戦法ゾーナル・プレッシング(日本ではゾーンプレスと呼ばれた)の下、1988-89シーズンにヨーロッパ王者となったミラン(イタリア)は、89年のインターコンチネンタルカップ(トヨタカップ)で、南米王者のアトレティコ・ナシオナル(コロンビア/当時日本では「ナシオナル・メデジン」と呼ばれた)と対戦した。 延長戦の末、アルベルゴ・エヴァーニのFKからの1点でミランが勝利している。ミランのアリゴ・サッキ監督は試合後、 「ミラーゲームだった」 と、話していた。両チームのプレースタイルは鏡に映したように似ていたのだ。 87年の夏にサッキがミランの監督に就任し、最初のシーズンでスクデットを獲り、次のシーズンでチャンピオンズカップ(現チャンピオンズリーグ)を制した。東京・国立競技場で行なわれた89年12月のトヨタカップは、サッキ監督のミランでの3シーズン目である。 サッキ自身、最初のシーズンからまったく新しい戦術を機能させているので、コロンビアのチャンピオンがコピーしようと思えば不可能ではなかったかもしれない。しかし、実際にはそうではない。
アトレティコ・ナシオナルの監督にフランシスコ・マツラナが就任したのは87年だ。国内リーグを制し、コパ・リベルタドーレスに優勝。89年のトヨタカップに至る経緯はサッキと同じである。 さらにマツラナはコロンビア代表監督も兼任していて、87年のコパ・アメリカではアルゼンチンを破って弱小だったコロンビアを3位に導いていた。そして、驚くべきことに監督業を始めたのは86年。トヨタカップの時点で3年が経過していたにすぎない。 監督になる前のマツラナは歯科医だった。 <奇才デレオンの戦術を受け継ぐ> マツラナはプロのサッカー選手としてプレーする傍ら、歯科医の仕事もつづけていた。82年に現役を引退し、歯科医に専念するつもりだったが、アトレティコ・ナシオナルの監督だったルイス・クビジャの勧めでウルグアイへ指導者として研修に赴くことになる。この時に出会ったのがホセ・リカルド・デレオンである。マツラナにプレッシングを伝授した人物と言っていいだろう。 デレオンは60年代にウルグアイのクラブチームを率いていた。当時のメディアの評価は「ウルグアイサッカーの破壊者」「アンチ・フットボール」だ。彼の著書である『私の革命』のサブタイトルが「アンチ・フットボールか完全なフットボールか?」になっているのは、それだけ物議を醸した監督だったということだ。のちに再評価され、現在では「トータルフットボールの先駆者」と呼ばれている。
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June 24, 2020 at 03:00PM
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歯科医だったコロンビアの名将。 30年前に先進的サッカーができた謎(webスポルティーバ) - Yahoo!ニュース
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